赤いランエボは100~120キロの速度で左カーブへ!
「小沢樹里 関東交通犯罪遺族の会」というX(元Twitter)の、プロフィールのところにこうある。
【埼玉県熊谷9人致死傷の遺族】
両親死亡。
弟妹が重体重傷(PTSD高次脳機能障害)
その事故、いや、事故とは到底いえない、無差別殺傷事件が適当だと思う、いったいどういう事件だったのか、一審・さいたま地裁の「危険運転致死傷」(裁判員裁判)の第1回公判を傍聴したときの傍聴ノートと、報道、をもとに記しておこう。
OとSは運送会社でTの先輩だった。
とくにOは給料日前にはしばしばTに金を借り、Tを「金庫番」と呼んでいた。
このTが、のちに「危険運転致死傷」の被告人として起訴されることになる。
2008年2月の日曜、Oのゴルフ仲間(SとTを含む)が、Oの知り合いの飲食店に、全員それぞれ車を運転して集まった。
午後1時半ごろから夕方まで飲酒。
Tは生ビール1杯と焼酎の割り物を7杯飲んだ。足もとがふらつき、先輩のOとケンカしたり、他人が残したラーメンを食べたり。
OとSとTの3人は、他の店でさらに飲もうという話になった。
Tは自車(赤いランサー・エボリューション)を運転、OとSは別のクルマで出発した。
午後7時過ぎ、キャバクラの駐車場に到着。開店準備をしていた店長が言ったそうだ。
店長 「よくこんな状態で運転してきたな。仕事も家庭もダメになるよ。(Sに)あなたがいちばんしっかりしてるようだから言うけど、酔ってるお客さんはお断りなんですよ。あなたが責任持ってくれるならいいけど」
キャバクラの駐車場で3人はTのランエボに乗り、エンジンをかけて暖をとった。
Tは車好きで、以前に乗っていたスカイラインGTRは雨の日にスピンして全損。ランエボもかなりチューンナップし、ターボも付けていた。
T 「まだ(キャバクラ開店まで)時間あるんですよね、ひとまわりしてきましょうか」
S 「うん」
O 「そうしようか」
車内でそんな会話があったと検察官は言う。
SとOを同乗させ、Tは運転を開始した。
やがて、片側1車線、制限40キロ、左へゆるくカーブする場所にさしかかった。
それまで60~70キロで走行していた赤いランエボは、カーブの手前で突然加速、100~120キロの速度で左カーブへ!
Tとしては、先輩2人対し自車の性能、自己の運転テクを見せつけたかったのか。
赤いランエボは黄色のセンターラインを超え、対向の白いセダンに衝突した。
セダンはスピンして停止。車内の母娘は頸椎ねんざ等で全治5日間。
赤いランエボはさらに2台目の車、青い軽ワゴンに正面衝突!
軽ワゴンは大破、押し戻されて左側のブロック塀を破壊し、横転した。
ともに56歳の夫婦は死亡。その21歳の息子は腰椎骨折などで加療約6カ月、双子の娘(21歳)は顔面の全ての部分が骨折、加療期間不明…。
そう書けば短いが、言語に絶する被害だったそうだ。いま思い出しても涙が出てくる。
Tの体内保有アルコールは、血液1ml中2.2mg。呼気換算で1.1mg、基準値0.15mgの7倍を超える。
2008年6月、Tらに酒を飲ませた飲食店主が「道路交通法違反」(酒類提供罪)で懲役2年、執行猶予5年とされた。
T本人は「危険運転致死傷」で起訴され、2008年11月、さいたま地裁で懲役16年とされた(求刑は20年)。
SとOは全国初の「危険運転致死傷幇助」で起訴され、2010年2月、懲役2年とされた(求刑は8年)。
控訴審判決を私は傍聴。控訴棄却だった。
「危険運転致死傷幇助」については、2016年12月に「道路交通法違反(車両提供&要求依頼同乗)、危険運転致死傷幇助」の控訴審判決を私は東京高裁で傍聴したことがある。
無免許でかつ危険ドラッグを使用した男に、自車(セルシオ)を運転させ、かつ同乗したという事件で、一審・長野地裁の判決は懲役6年。東京高裁の判決は控訴棄却だった。
以上、未決算入(未決勾留日数の算入)については捨象した。
私としては、交通殺傷事件、交通無差別殺傷事件、という考え方を検討してみていいんじゃないかと思う。
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