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2007年3月22日 (木)

「緩衝帯」をなくした結果…

 当ブログに書いたように記憶するんだが、どうにも検索できない。
 私の検索の仕方が下手なのか。
 あるいは、以前『FLASH』の原稿に一部引用しただけで、ブログには書かなかったとか?

 『講座 日本の警察 第三巻 交通警察』(立花書房、92年10月20日初版1刷発行)。

 この本、編者は河上和雄國松孝次香城敏麿田宮裕の各氏。アマゾンの紹介は「河上和雄(著)」「1992/01」となってる。でも河上さんは執筆はしてないよ。「編者」の1人だよ。どゆこと? 分かんない。

 それはともかく、そこに収載されてる「交通指導取締りに関する法律上の諸問題」、その部分の執筆者が矢代隆義さんなのである。

 同書における、91年8月現在の矢代隆義さんの肩書きは、警察庁都市交通対策課長。
 ネットで検索すると、同姓同名の人が01年9月現在、埼玉県警本部長、06年6月現在、警察庁交通局長、となってる。
 ちなみに91年8月現在の河上和雄さんの肩書きは、弁護士・前最高検察庁公判部長。國松孝次さんは警察庁刑事局長。香城敏麿さんは大分地方裁判所長、田宮裕さんは立教大学教授だ。

 で、その矢代さんの「交通指導取締りに関する法律上の諸問題」である。
 その「第三 実質的違法性をめぐる問題」の、「三 可罰的違法性」、そこに、以下のように書かれている。
 以下、太字は今井。「」とは、「一 問題の所在」に出てくる、「最高速度違反(又は駐車違反)を抽象的危険犯又は形式犯としながらも、当該行為の違法性の微少な点をとらえ、いわゆる可罰的違法性なしとする主張」のことだ。

 これ、多くの運転者たちの日々の疑問にズバリ答える、非常にスゴイというか素晴らしい、ショッキングな、ある意味ブラックなことを言ってると思う。


 次に②の主張のように、道路交通法の各条は、わずかな違反でも処罰の対象となるのかという問題は、確かに頭の痛い問題である。紋切り型にいえば、「速度超過分が毎時一キロメートルであっても速度違反であり、わずか一分間の駐車でも駐車違反であることに間違いない」ということになるが、これではあまりにも現実離れした結果を招くこととなり、可罰的違法性の問題を持ち出して弁解するのも無理からぬものがある。しかしながら、道路交通法のような大量処理の行政法規において、その違反事実が構成要件に該当しながら、実質的違法性の判断において違法性の微少性ゆえに違法性の推定が破れるとすることは、画一的処理を損い、不適切である。これは、結局のところ違反の成否の問題としてではなく、当該違反行為を取り締まることの相当性、社会的妥当性の問題として処理せざるを得ないものと考えられる。

 現実の問題としては、交通違反の取締り現場では、悪質な違反のみを取り締まり、軽微な違反は指導に止めているのが実情である。なぜならば、道路交通法違反は一〇〇パーセントこれを検挙できるわけではないので、軽微な違反については、取締りの公平性の観点からみても指導に止めるのが妥当であるし、また、軽微な違反は、仮にこれを検挙、送致しても、起訴段階において起訴便宜主義により起訴猶予処分となるであろうから、あえてこれを反則切符処理するのは妥当性を欠くと考えられるからである。このような事情から、軽微な違反はある程度まではこれを無視し、又は指導に止めており、これが緩衝帯の作用を果たし、現実の問題として、実際に検挙される事案では可罰的違法性を検討しなければならないようなケースは生じない。ただ、理論上のものとして可罰的違法性ないし実質的違法性の問題を考えるならば、道路交通法違反の罪責の多くが形式犯ないし抽象的危険犯であることと併せ考えると、違法性自体を否定するような結論を導くことは避けるべきものと考える。

 矢代さんは、交通取締りの現場をまったく知らないか、知りながら背を向けてる?

 いや~、たとえば、見通しの良い交差点でさ、最徐行して完全に安全を確認したのを、巧みに隠れて待ち伏せ、取り締まる場合、警察官は、違反態様について書く必要があれば、「漫然時速15キロメートル毎時で…」とか書く。取り締まることの相当性、社会的妥当性があったかに装う。「違法性自体を否定するような結論を導くこと」はないようにする。
 キャリアはそういう報告等をもとに交通行政を行うので、という面もあるんだろう。いわゆる「大本営発表」を現場がする状態にしておき、上がってきた「大本営発表」を見て、作戦を立てる、ようなものか。

 でも、それをもって直ちに矢代さんを責めることはできないだろう。
「現実の問題として、実際に検挙される事案では可罰的違法性を検討しなければならないようなケースは生じない」
 とさらり言える背景には、反則金の納付率がほぼ100%であること、つまりほぼ100%の運転者(反則者)が異議や不服を主張しない(法律手続きに従って争うことをしない)という厳然たる事実があるのだから。
 反則金を納付しない者が1割でもいれば、違反処理システムはパンクし、「…ケースは生じない」などとさらり言ってのけることはできないのだから。

 ま、それはそれとして、だ。
 要するに、駐車違反についていえば、チョークで印をつけて10分なり30分なり待つのは、「軽微な違反はある程度まではこれを無視し、又は指導に止め」ることを意味していたわけだ。 
 それは「緩衝帯の作用を果たし」ていたわけだ。

 ところが、06年6月1日から、チョークは使わなくなった。
 違反の悪質性・迷惑性や動機には関係なく、形式的に違反なら直ちに取り締まるようになった。

 「緩衝帯」をなくせば、「可罰的違法性を検討しなければならないようなケース」が白昼堂々、大量に生じることとなる。「あまりにも現実離れした結果を招くこととな」る。
 そうならないためには、規制の見直しが不可欠。
 規制自体を、よほど合理的かつ必要最小限に変えなければならない。
 それは当然すぎるほど当然。
 だから警察庁は、そのように規制を見直せと、2本も通達を出している。 
 しかし、見直しはごく一部しか行われず、「緩衝帯」だけが外された…。

 結局、私がこの1年間、雑誌や新聞やラジオやテレビで言い続けてきたところへ帰着する。

 どうすりゃいいのか。
「新制度は、確実にカネを集められるようにし、かつ、巨大な委託事業を(警察の縄張り内に)創設した、それだけのことなんです」
 と言ってくれれば、
「は~、そうだったんですか。それじゃ、しょーがないですよね~」
 となり、丸く収まる…かどうかわからないが、みんな納得するでしょ。
 個人も社会も、正直がいちばん。←そういう結論かよっ。

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