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2008年2月24日 (日)

森大助さんからメッセージ

080225  金曜に、仙台拘置支所の守大助さんから手紙が届いた。画像右下のほうにぽつんとあるのは、拘置支所による検閲のハンコだ。

 守さんが言う上申書についてはここに。
 私はもう最高裁へ出したよ。 
 署名用紙はこれ。自分1人の署名でもいいよ。
 守さんへの手紙はここへ。
  〒984-0825 仙台市若林区古城2-2-1
      仙台拘置支所内 守大助 様
 ほか、守さんからのメッセージはこのサイトに。

 守さんから届いたのは、右の1枚だけではない。
 ほとんど同じで若干異なる「閲覧の皆様へ」がもう1枚あり、
「どちらも同じようなメッセージなのですが、どちらか選んで載せて下さい」
 と、3枚目の便箋に書かれている。
 パソコンのワープロソフトでなら、若干変えて同じようなメッセージをつくるのは簡単だが、拘置支所では手書きによるほかない。その他に、封筒には、4枚ぎっしりの手紙が同封されていた。

 1月10日に仙台拘置支所で面会したとき、退屈するかと私が尋ねたところ、守さんは言っていた。
「退屈はないです。毎日、事件のことを考えてます。毎日、いっぱいっぱいです」
 それはそうだろう。
 たとえ完全無実でも、「だから当然、無罪」とは言えないのが日本の裁判だ。日本の裁判を、守さんは一審(仙台地裁)、二審(仙台高裁)ですでに体験しているのだ。
 上告が棄却されれば、無期懲役が確定…。
 厳罰化の流れで、有期懲役の上限が引き上げられている。
 30年くらいは出てこられないだろう。

 最高裁で有罪が確定したらもう、再審で無罪の望みはない。
 なぜなら、再審開始の決定は、それ1つで完全に無実が立証される証拠(たとえば真犯人の出現※)でもない限りほとんどムリだし、もしも再審開始が決定されれば検察は徹底的に抵抗するところ、守さんのケースは、現時点でもうカンペキな無罪の証拠がそろっている(かつ、有罪だとする証拠はカンペキにボロボロ)ということができ、再審で出せるものはもうないと思われるからだ。
 守さんが「毎日、いっぱいいっぱい」というのは、痛いほどわかる気がする。塀の外にいる者にわかるのは、万分の一にも足りないのだろうけれども。
※ 日本では過去に、死刑確定囚が4人、再審により死刑を免れている。それは、検察が隠していた無罪の証拠が明らかになったからだそうだ。以後、検察は、いったん隠した証拠は絶対に出さなくなったという。

 どうしてこんなことが起こるのか。どうして日本の刑事裁判はこうなのか。
 いろんな方のお話をうかがい、事件数で860件くらいの裁判を傍聴し、ずっとずっと考えてきたが、結局、裁判官という人種が、警察・検察を一切疑わない(疑うことになしに育ち、試験を勝ち上がってきた)人種であること、そこが大元ではないかと思う。
 一切疑わない=信じ切る。
 それは一種の信仰、帰依(きえ)だ。
 ゆえに、無罪の証拠(=現実)など軽々乗り越え、壇上の、黒い法服(儀式衣装)の裁判官らの、自信、自尊は揺らがない、そういうことではないのか。

          ★

 土曜、国賠ネットワークの交流集会が渋谷であった。
 今回の講師は、愛媛県警の現職の巡査部長、仙波敏郎さん。
 ま~、仙波さんの話は面白いというかスゴイというか。
 人物自体が、100万人に1人でいるかいないかの、スゴイ人なんだろうと思った。内容が濃い、というのを通り越してる! なのに講演料はナシなんだという。懇親会の飲食費(割り勘)も払ってた。
 愛媛の現場警察官諸氏は、仙波さんが先輩であることを誇り、組織の対応をみて嘆き、引き裂かれる思いなんじゃないか(良心的な人は)。

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 冤罪のことについて、仙波さんの話をまとめるとこうだ。
「逮捕件数のノルマは厳しい。それで冤罪が起こるんです。しかし、冤罪はある日突然、我が身のことになることを、みんなわかってない。冤罪は、そういう立場になったものじゃないとわからない」

 守さんも、仙台拘置支所の面会室で言っていた。自分がこうなってみるまで冤罪はないと思っていた、と。冤罪だと報道されても、ほんとはやってるんじゃないの? と思っていたと。
 仙波さんはさらに言う。

「いまの裁判官の90%は、警察官がつくった書類は正しいと思ってる」

 私は、90%ではなく100%だろうと思う。そんななかで1%の裁判官が、たまに「正しくない」と気づき、そのなかで勇気のある人が、無罪判決を書くことがある、そんなもんじゃないのか。
 とはいえ、現職の警察官が「90%」と言うことの重みは大きい。びっくりだ。
 そして、仙波さんはさらに言う。

「裁判官がダメなんだから、警察がしっかりしないと!」

 私は、警察が突っ走るのは、ある程度は仕方ないだろうと思う。
 引き継いだ検察官が、法的に、また司法行政的にチェックする。
 最終的に、警察、検察のやり方で大丈夫か、裁判官がチェックする。
 そういう仕組みなのだと私は思ってる。
 だから、冤罪の最終的な責任は裁判官にある、裁判官がしっかりしなければ。裁判官がしっかりしていれば、警察も検察もデタラメはできない。
 ところが、仙波さんの上記言及…。
 裁判官はダメで、もうどうしようもないんだから、「我々が自分の現場でしっかりしなければ」という意味なのか。そうだとしたら、裁判官は警察から見放されている、ともいえる。
 見放すは、ナメる、にもつながる。
「裁判官は検察の言いなりだ。裁判でならわかってくれる、と思ってもムダだ」
 との趣旨のセリフで自白を迫る、そんな検察官がいるという話があちこちから聞こえてくる。
 犯罪者たちのなかには、
「壇上のこの裁判官は、エリート風にわかったような気になって偉そうに説教してるが、なーんにもわかってねーな」
 とか、腹のなかで嗤(わら)ってる者もいるんじゃないか、傍聴を重ねていると、そう思えることがしばしばある。
 裁判官は、“裸の王様”なのか…。
 こう書くと、もはや絶望だが、やっぱり人間のやることはケースバイケース、いろんなことがある、守さんの事件について、なんとか、証拠を証拠のままに見て判決してほしい、そう思って最高裁に上申書を出したよ

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 この記事は、2月24日(日)に少し書いてアップし、その後、締切り原稿等々でどうにも時間がとれず、27日(水)0時過ぎ、ようやくここまで書いてアップした、という次第。ンなことやってると、ポイントも順位もみるみる減るんだな~。

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