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2009年6月 3日 (水)

被害者を殴ったと誰も言わない傷害事件

6月3日(水)

 自民党の保岡興治議員が、「国民のための司法を! ~自己責任とルール・フェアプレーの精神~」として、こんなことを言ってる。

 司法改革と聞くと、裁判や法律的な問題をすぐに想像しがちで、国民生活と少し離れたところにあるというイメージをお持ちの国民も多いようですが、広い意味で「自己責任とルール・フェアプレーの精神」を国民一人一人が意識することでもあり、国民生活とは切っても切れない関係にあります。今後も、司法改革を国民にとってわかりやすく、参加しやすいものへどんどん進めていきます。

 「6月24日」というのは、どうやら2006年のことらしい
 ここにも「自己責任」という言葉が出てきてる。「自己責任」とは、国に頼らず自分の始末は自分でつけろ、というふうな意味かな。
 「フェアプレーの精神」を国民に意識させるには、大企業、官僚、議員が手本を見せてくれる(少なくとも逆のことばっかしない)のがいちばん良いように思うんだけど(笑)。
 てなことはさておいて、保岡議員もやっぱり、司法改革とは、司法自体が変わるのではなく、変わる(変える)のは国民のほう、国民の意識である、との認識のようだ。
 趣旨は国民を変えることで、その手段として「わかりやすく、参加しやすいものへ」があるわけだ。
 「国が国民に与える司法」「国民の意識を変えるための司法」を、「国民のための司法」と表現すると、なんとなく「国民のためになる司法」「国民が幸せになる司法」のように聞こえる。表現は大事だ。

 てゆっか「自己責任」という言葉は、首相官邸のサイトにばーんとあるんだね。「自己責任原則」の定義は何なのか、その原則に「貫かれた事後チェック・救済型社会」とは何なのか、そこが、裁判員制度の必要性を読み解くカギのようだ。
 ところが、どうもそゆことはだ~れもぜんぜん気にしてない、みたいな。だから、裁判員制度のそもそもの目的が、ぜんぜん「国民にとってわかりやすく」ない。
 なぜこういう状態にあるの?

 交通違反・取締りが専門フィールドの私からすれば、「事後チェック・救済型」で直ちに思い浮かぶのは、運転免許の行政処分だ。
 行政処分は、違反は事実かどうか、また事実として点数分の危険性があるかどうか、には関係なく、取締りが行われたことのみを根拠に、まず処分を執行する。その後、被処分者に不服があれば、不服申立(審査請求または異議申立)や訴訟を行うことができる。事後チェックによる事後救済、である。だが、チェックするのは警察自身か、「行政性善説」のもとにある裁判所なので、処分が覆ることはない、いったん処分が執行されてしまったらもう助からない、それが大原則だ。
 裁判員制度との関連でいう「事後チェック・救済型社会」とは、いったい何なのか、たいへん気になる。ま、調べてみようか、裁判所行きを少し減らして…。

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clip 13時30分から東京地裁819号法廷で「傷害」の審理。
 スポニチが「モンスター父ちゃん 女先生にグーパンチ」と報じてる事件だ。これは私、ノーチェックだったが、マニア諸氏に教わって、傍聴してみることにした。

 今日は被告人質問と、鼻骨骨折した女性教員(被害者)と、当時職員室にいた非常勤講師の証人尋問。16時45分まで。
 被害者は保健体育の先生だそうで、若く、姿勢がすごく良かった。
 被告人の話と、証人たちの話に、食い違いはあるものの、手の形については3人とも平手と言っており、「グーパンチ」とか拳骨とか言う者は1人もいないのだった。しかも、被告人が被害者を殴った(叩いた)と言う者も、被害者を含めて1人もいないのだった。
 被告人が男子生徒を平手で叩こうとし、そばにいた被害者が止めようと間に入った、あっという間に、瞬間的に被告人は男子生徒を叩いた…そのとき、被害者は鼻に激痛を感じ、あとで骨折とわかった、そういうことらしい。
 そうすると、「傷害」じゃなくて「過失傷害」なんじゃないか。

(傷害)
第二百四条
 人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

(過失傷害)
第二百九条
 過失により人を傷害した者は、三十万円以下の罰金又は科料に処する。
 前項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

 しかし、そんな話はぜんぜん出なくて、被告人が事件以前に度々学校へ抗議に来ていたとか、そうじゃないとか、そんなことばっか検察官も弁護人も言おうとするのだった。それに対する園原敏彦裁判官(新宿思い出横町の「きくや」の主人を2まわり大きく怖くしたような感じ)の訴訟指揮が面白かった。
 この裁判、いったいどうなっちゃんだろう…。

 今日はこれ1件でおしまい。最初を傍聴してない1件のために午後を費やすのか、とじつは心揺れてたのだが、来てよかった。
 マニア諸氏は頼もしい。本気で「司法改革」を言うなら、法曹以外で裁判をよく知る国民、すなわち“傍聴マニア”の話を聞くことこそ、まず行うべきではないのか。

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コメント

携帯やメールアドレス、電話を傍受、妨害されているかもしれないので(被害妄想かもしれません)ご迷惑かもしれませんが、こちらに書き込ませていただきます。

昨日、検察によびだされて検挙に対しての自分の考えを、しっかり考えに考えて書類を用意して提出し、私の気持ちを素直に伝えました。
裁判の「裁」の字も略式の「略」の字も出さずに「おっしゃることはよくわかりました。書類は京都におくります。…たぶん軽微なので大丈夫でしょう」といわれ無罪放免。
もっともっと苛められることを覚悟して行ったのに
これが許されたら、いけないんじゃないのかな?あたしは実験さえしてくれたら罪を認めるのに〜って思ってたら、朝は私の検挙場所でまた違反の取り締まりをしていて、帰りは帰社途中警察につけねらわれました!
最初は偶然と思っていたのですが、私が気づいたとわかると隠れてても無駄なので、うじゃうじゃうじゃうじゃでてきました!
京都と滋賀の警察で連携とってあたしを見張っていました!
最後にすれ違ったパトカーの運転手はガン見であたしを睨んできました!かなり唖然としています。
これって法律で許されてることですか??????
警察は何がしたいんでしょう????
私は警官個人に恨みはなく上申書や意見書に誰がどういったなどは一切書きませんでした。どの警官でも当たり前のように言うことを「誰が」とは書かず、「警官がこういいました」って書いただけなんですけど…。実際に検挙時に私の検挙にあたった警官は全員とても親切だったので、迷惑がかかってはいけないのですごく気をつけました。
裁判になったら確実に私は「有罪」になるし、有罪にするのに大変な資料を必要とするような要望も特に書いてなかったのにです。
警察という組織はともかく、「警官一人一人」はごく普通にいい人達なのだと信じていたのですけど、とてもショックです。。。

そして、私は時間と労力と人材を消費してまで私を見張らなければならないほどの何をしたんでしょう???プロの手を借りて不起訴を狙う書類をつくるのは、私の気持ちになじまなかったのでプロには頼まず、自分自身の言葉で書きました。突っ込んで罪をみとめさせる「非」など、専門知識のある方にならいくらでも見つけられると思います。ただ、普通の女性が普通に思うことを普通に書いただけなのです。

ここに書くのは筋違いかもしれませんが、一言御意見を聞きたくてコメントさせていただきました。ご迷惑でしたら削除して下さい。


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