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« 可搬式オービスは青切符の速度違反を取り締まっていた! | トップページ | ブレーキ踏み間違い事故、最新データ »

2018年8月 6日 (月)

オービスの歴史 第1回 オービスの登場!

 うめさんのツイートをきっかけに調べてみて分かった。新型オービスのうち東京航空計器のレーザー式、LSM-300で愛知県警は、反則行為(青切符の違反。一般道路では超過30キロ未満)のスピード違反を普通にしらっと取り締まっていた!

 ただしこれは試験的なものだろう。次のステップへ向けての準備だろう。試験と準備と同時進行だ。
 なんにしても、警察庁の狙いは、放置違反金ならぬ速度違反金あるいは行政制裁金の導入と、速度取締りの民間委託だ。そこはもう間違いないと私は見る。おそらく最終的にはすべての取締りの民間委託へと至るだろう。2013年からずっと私はそう言い続けている。

 2014年11月、警察庁は新型オービス3種(可搬式、半可搬式、固定式)の試行運用を開始した。近い将来、持ち運び自在の可搬式が猛威をふるい、処罰のあり方も大きく変わるだろう。オービスの新時代が到来するのだ。
 その幕開けを前に、ここらでオービスの歴史をふり返っておこうじゃないか。

 …と始まる原稿を私は2014年12月、『ラジオライフ』に書いた。ナマ原稿に一部加筆等してここに載せよう。

 昔の速度取り締まりはどう行われていたのか。『概説交通警察』(立花書房、元警視総監・矢代隆義)にこうある。

当初,白バイ,パトカーによる追尾測定か,取締り員による路側でのストップウォッチによる測定方法しかなかった

 「追尾測定」(追尾式)とは、白バイなどが違反車両の後ろを等間隔で走り、白バイの速度=違反車の速度として取り締まるやり方だ。現在も広く行われている。
180803 「ストップウォッチによる測定方法」とは何か。“体験者”から話を聞くことができた。

「私が捕まったのは、東京オリンピック(1964年)の前でしたかねぇ。A地点に警察官がいて、目の前を速そうなクルマが通過するとストップウォッチを押すんです。先のB地点に別の警察官がいて、そのクルマが通過すると旗を上げる。A地点の警察官はそれを見てストップウォッチを止める。で、A-B間の距離と通過時間から速度を計算し、取り締まるわけです」

 なんと原始的な!

「いやいや、当時は最新の機械式が登場したぞと、みんな言ったもんです(笑)」

 なるほど。追尾式における「等間隔」は何の証拠もない。警察官がそのように言い張るだけ。ストップウォッチという“機械”を使うぶんだけ最新式なのだ。
 言い換えれば、原始的なストップウォッチ式よりさらに古い追尾式が今も生き残っているってことだ。

 その後、測定機といえるものが登場する。『概説交通警察』ではこうだ。

昭和42年に光電式の速度測定装置(路側の一方に送受光器,他方に反射器を配置して自動車の通過を感知し,走行速度を測定するもの)が配備され……」

 光電式は50年近く前に登場したのだ。ちなみに昭和42年(1967年)といえば、ベトナム戦争の特需で日本経済が沸き、ミニスカートが大流行した年だ。『ブルーシャトウ』『小指の思い出』などが大ヒットした。 ※この部分は岩波ブックレット『年表 昭和史』による。以下同。

 『概説交通警察』はこう続く。

……昭和46年からレーダー式の速度測定機(路側にレーダー装置を配置し,電波のドップラー効果を利用して走行速度を測定するもの)が配備された

 昭和46年(1971年)は輸出超過で日米貿易摩擦が問題になり、銀座にマクドナルド1号店が開店した年だ。ヒット曲は『また逢う日まで』『おふくろさん』『私の城下町』など。

 この時代、交通社会は大きく動いていた。
 急激なモータリゼーションで交通事故が激増。警察は徹底的に交通取り締まりを行った。が、事故は増え続け、警察はさらに取り締まった。

 そのうち大変な問題が生じた。
 当時、違反者が払う金は「罰金」のみ。罰金を科すためには刑事手続きを経なければならない。すなわち検察官が起訴し、裁判官が有罪とする必要がある。その刑事手続きが、取り締まりが増えすぎてパンクしそうになったのである。

 そこで1968年7月1日、「交通反則通告制度」が誕生する。
 9割くらいを占める軽微な違反について、違反者が不服を言わず「反則金」という新しいペナルティを払えば刑事手続きをパスできることにしたのだ。
 反則金を払ってしまうと不起訴も無罪もなくなるのだが、高度成長期で忙しく働く運転者たちは、便利な反則金に飛びついた。以来、反則金の納付率は95%を下回ったことがない。

 この制度の導入後、警察は取り締まりをどかんと増やした。
 1967年に約462万件だった取り締まりは、1975年に1,000万件を超える。ピークは1984年の1,374万件だ。ちなみに、じつは1967年までは警察の統計に「説諭または警告」で済ました件数が載っていた。1967年は約610万件。取り締まりより多かったのだ。1968年以降そのデータは消えた。

180803_2 罰金は国庫に入って一般財源に溶けるが、反則金は「交通安全対策特別交付金」として地方に交付され、信号機や標識など交通安全施設に使われる。それら施設の事故抑止効果が大きかったのだろう、事故死者は1970年の16,765人をピークにどんどん減り始めた。
 信号機などを設置せず取り締まりで事故を減らそうとしてきた、その失策のせいで多くの命が失われたとも言えるわけだ。

 そんな時代を背景にオービスは登場する。
 オービスの歴史については“生き字引”というべき人物がいる。前述のストップウォッチ式で捕まった人、和田兌氏(現在82歳)だ。
 和田氏はその違反を徹底的に争い、スピード違反裁判の知識を身につけた。そして1974年、交通事件で有名な弁護士・高山俊吉氏らが「道路交通民主化の会」を結成。和田氏はその事務局を勤め、数多くの交通裁判に関わることになったのである。和田氏は言う。

「当時はタクシーやトラックの組合活動が活発だったんです。不当な取り締まりに対抗するため専門の団体が必要だってことで“民主化の会”生まれたんです」

 和田氏は1994年に、浜島望の筆名で『警察の盗撮・監視術』(技術と人間)という非常にマニアックな本を出している。同書と和田氏のお話から、オービスの歴史を辿っていこう。

 オービスの発祥はアメリカだ。1970年頃、アメリカのF・T・V社が「オービスⅢ」という自動速度取り締まり装置を開発した。自動的に速度を測定し、自動的にストロボを光らせて違反車を撮影。ナンバーと運転者が写った写真に測定値や日時を焼き付けるというシステムだった。オービスとはラテン語で「眼」を意味する。

 F・T・V社はこのシステムの権利をボーイング社に譲り、アメリカの3州で実用テストが行われた。すると夜間に銃でカメラ部が破壊される事件が続発。ならば外国ではどうか。こうしてオービスは1973年頃、日本へと海を渡る。
 そこに関与するのが意外にも、ベンツやキャデラックなど高級外車の輸入販売で有名な「ヤナセ」だった。いったいなぜ? じつはヤナセは当時……。
──以下次号へ!

 このあと私は『ラジオライフ』に「オービス測定部の変遷」「闘いを挑んだサムライたち」「大阪高裁、オービス逆転無罪!」等々を連載していったわけ。

 オービスの新時代を前に、巡査部長の昇任試験に交通取締り、交通行政の歴史が…いやほんとに出るかもしんないですよ。coldsweats02

 画像は本文とは全く関係ないっ(笑)。
 上の画像は、例によって「昭和」の酒肴。ゴーヤの何だっけ何かと、ハンバーグ。いずれも1皿チケット1枚。チケットは10枚綴りで1200円。ふと思いついて食べログを見たら、星3.4いくつだった。食べログってそういうあれなんだぁ、と呆れた次第。
 下の画像は、日比谷公園に新しく設けられた喫煙場所の地面。ぼこぼこ開いてるのはセミの穴かと。セミって地上へ出てからの命は1週間だっけ。小学生のときそう教わったような気がする。「たった1週間かよっ」とグレて穴に引きこもったり、延命サプリをネットで探したり、そういうことをしかし昆虫や動物は考えず、生物として完成しているわけだ。
 人間とセミとどっちが偉いか、という疑問自体をセミは持たないわけで、ここはセミの勝ちですかね、嗚呼暑い。

 ←8月6日15時00分現在、週間INが180で1位~。happy02

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コメント

いよいよ控訴審です!結構楽しめそうかなと・・・メール頂けると嬉しいです

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