東名あおり危険運転、控訴審はどうなる
そもそも「国民の常識」とやらを裁判官も存分に持っている。すなわち、警察が逮捕したら犯人で間違いし、マスコミがこぞって犯人視して世間が盛り上がった事件がまさか冤罪とは考えない、という常識だ。
たとえ再審無罪になっても「ほんとはやってんじゃねーの?」との憶測を捨てきれない、それが世間の常識ってやつだろうと思う。
そんななかで、東名あおり危険運転である。
国民が世間がこれだけ盛り上がる事件は滅多にない。司法の威信のためにも危険運転を適用せざるをない。結論を正当化するレトリックを立てる、それが裁判官の重要な仕事のひとつだし。
ただ、何度も言うけど法律上は現場へ突っ込んだトラックの運転手の責任がいちばん重いのだ。
なので私は、危険運転を適用しても、求刑23年のところ判決は懲役2年程度、世間の盛り上がりに目一杯押されてもせいぜい3年じゃないかと考えていた。
念のため言っておくけど、これは「裁判的には」という話だ。本件被告人の罪が軽いとは毛ほども思っていない。被告人が懲役何十年に処されようと被害者の命は戻らず、空しいだけかもしれないが、しかし重罰に処されてほしいとは私も思う。
14日の判決は懲役18年(未決算入は不明)。控訴はあるのか。
控訴は被告人も弁護人も、そして日本では検察官もできる。
検察官は、23年を求刑したのに18年は軽いからと控訴することは、ないはずだ。危険運転の認定と18年を勝ち取ったんだもの。
被告人は控訴するか。
自分がやったことの重さを反省悔悟し、控訴せず粛々と刑務所へおちる…。しかし私が8千件ほど傍聴してきたところによれば、そうじゃない被告人がよくいる。
被告人が控訴したため、被害者・遺族の怒りが強まる、そんな控訴審をよく傍聴してきた。
控訴は、被告人もできるし弁護人もできる。
被告人は控訴しないのに弁護人がすることもある。被告人が控訴の取下げを求めることもある。
本件は、被告人の意思にかからわず弁護人が控訴し、被告人は取下げを求めないんじゃないか。なんにしても、このまま確定に至るとはちょっと考えにくい。
控訴審はどうなるのか。
そこはほんと分からない。定年(65歳)間近の裁判官に当たるかどうかにもよるだろう。
1、危険運転についての、反対論も強くある解釈適用を定着させる。
2、原判決破棄、軽い量刑として、危険運転についての新たな法条をつくる。
3、本件は特例的にそのままとし(懲役18年を維持し)、新たな法条をつくる。
司法の威信的には、3が落ち着きがいいのかなと思う。
なんにしても! 控訴審は被告人の出頭を要しない。被告人は出頭せず、弁護人が法律論を述べる書面を提出したことを口頭で確認しておしまい、となる可能性が高い。
だから! 傍聴してもたぶんつまらないです。傍聴券抽選になっても、並ばないようにしましょう! でないと私が傍聴できないかもしれないので。 ←それが言いたかったのだね、よしよし(笑)。
※ 新しいパソコンになり、画像のサイズをこのブログに載せられる大きさに変更できるようになった。そんな当たり前のことが、前のパソコンではできなかったのだ。
画像は、2005年8月15日に靖国神社でデジカメ撮影したもの。
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