自民批判に対する違和感
ネットを見ててつくづく思う。
いわゆるネトウヨは、あれはどうも、根拠とか論とかそんな次元にないみたい。
とにかく“上から目線”で罵って蔑んで勝ち誇る、それしかないというか、そこに特化しているように思われる。
・みじめで孤独な人がひとときの快感(ドーパミン)を得る。
・相手の疲弊、消耗を狙う。
そのへんが目的なのか。
「Dappi」ほど高給ではないにしても、たとえば10罵倒で200円とか報酬が出るのかもしれない。
画像は11月1日付け日刊ゲンダイ「Dappi」と自民党の“本当の関係”を岸田首相がポロリ? 参院予算委の答弁にSNS総ツッコミ」のスクリーンショットだ。
日経新聞の夕刊を読んだ。「育む」というコーナーか何かあり、「『はい論破』と言う子の導き方」という記事が。書き手は「アルバ・エデュ代表理事」竹内明日香さん。よく見れば8月29日の夕刊だ。光陰矢のごとし(笑)。
友達との会話中や授業中に「はい論破」「それってあなたの感想ですよね」などと言って、相手を言い負かそうとする子が増えているという。
そしてこんな部分が。
背景にあるのは「フラジャイルナルシシズム(脆弱型自己愛)」。自分のことが大好きだが、一方で自信がなく、周囲に対して強く出て認められたいという一種の承認欲求だ。
厳格な親に育てられた子のほうがフラジャイルナルシシズムを抱きやすい傾向にあるとの研究結果も…。
ま、それはそれとしてだ、私はね、ネトウヨとは反対側の、自民や維新や現在の行政等々に対する批判について、ちよと(※)思うことがある。 ※池波正太郎さんの時代小説に出てくる表現。
たとえばさ、自民議員に、何かとても立派で高邁、理想的なイメージを当然に与え、そのイメージに合わないからと批判する、みたいなとこ、あるでしょ。
そこにどうも私は違和感を覚える。
猫大好きな人が、犬に対して「ペットならニャアと啼くべき。なぜニャアと啼かない!」と腹を立て説教するような。
冷静に客観的に見れば、自民の実質的党是は、選挙勝利(もっといえば選挙に大勝しての政権維持。以下同)、その一点じゃないか。
自民党内には、いろんな意見の議員がいるという。
どんな意見があろうと、選挙勝利、その一点のため結束しているのが自民でしょ。
立派で高邁、理想的なイメージとは、まったく別次元に自民は在るのである。
ゆえに、被洗脳信者が寝ずに必死にボランティアで選挙支援をしてくれるなら、どんなカルトであろうと歓迎する。カルトの教祖を褒め称える。
差別主義な言動が心地良い層は確実にいるわけで、その支援を確保するため、たとえば杉田水脈議員を比例名簿の上位に据えたりする。
そうしたことをすっぽり抜かして、差別主義はイカンとか批判しても、まったく的外れ、次元が違う、という違和感を私は覚えるのである。
じゃあ、どうすりゃいいのか。
教科書的な理想的なイメージは措いて、現実を冷静に客観的に見ましょうよ、そこから始めましょうよ、と思う。うまく言えませんけど。
「うまく言えませんけど」は、ある被告人の口癖だ。「…じゃないですけど」が口癖の被告人もたまにいる。発言の頭にやたら「わー」を冠する被告人もいる。
私の口癖はなんだろう。私がわりと言うのは、このセリフですかね。
「裁判所の帰りに、新宿の立ち飲み屋へ行ってみたい、でも怖い、誰かついて行ってほしいと、君がどぉーしても言うなら、忙しいんだけど、しょーがない、ついて行ってあげるよ。んもぉ、長居はできないからね」
フラジャイルといえば、Laufey - Fragile (Acoustic)、参りました💦
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