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2024年1月21日 (日)

傍聴マニアから見た冤罪の理由

21090714  私の場合、初めて裁判を傍聴したのは28歳ぐらいのときだった。あれから軽く40年を超えた。
 傍聴マニア(を自称できる立場)になったのは2003年3月頃。今年で22年目に突入する。

 

 傍聴マニアなっていろんな裁判(主に刑事裁判。以下同)を傍聴し始めた頃、こう感じた。

「裁判官って、1つひとつの事件に、真摯に対応してるなあ。偉いなあ」

 だが、傍聴を重ねるうち、だんだんと別のものが見えてくる。たとえば…。

「裁判って、すべてを紙の上に整えようとするんだあ」
「裁判の真髄は法律手続きを一片の遺漏もなく整えること、そこに凝り固まってるね、てかそこに快感を覚えてるね、この人」

 なーんて感じることもある。
 中国人女性の被告人をあからさまに見下し、嘲笑の態度を取る裁判官もいたっけ。

「メディアは、裁判官はこれこれのことを酌んでこの判決にした、なんていつも報じるけど、相場どおりの判決を言い渡すにあたり、もっともらしく“これこれのこと”を言ってるだけじゃーん」

 とは、よく感じる。すべてじゃないが。
 ちなみに覚醒剤の一般的な初犯は懲役1年6月、執行猶予3年で決まり、ヤクザ方面には「イチロクサンネン」という名詞があると、裁判所内で私は知った。

 

 検察官と弁護人(被告人)、双方が言う事実関係が真っ向から違うことがある。
 そういう場合、裁判官は、

・検察官の主張については、肯定できる理由を探す
・弁護人の主張については、否定できる理由を探す

 という印象を受けることがある。

 被害者の証言について「信用できる」と認め、対する被告人の供述については「信用できる被害者証言に反するから信用できない」とする論法はよく出てくる。
 聞いてて「うお~」と思う。

 

 なぜそうなるか。
 無罪と有罪、ちょうど真ん中に線をひくことはできない。

A、無罪は必ず無罪になる。有罪が無罪になることも少しある。
B、有罪は必ず有罪になる。無罪が有罪になることも少しある。

 Aを選べば、世論がうるさい。司法の威信にケチがつく。
 Bを選んで冤罪が生まれても、国民の大多数は気にしない。「冤罪冤罪と左巻きの連中が騒ぐけど、どうせほんとは殺ってるんだろ」てなもんだ。司法の威信は護られる。

 

 江口大和さんの事件は、あれはまたちょっと違うと思う。
 一審の横浜地裁、二審の東京高裁、どっちも、おいおい、そんなんで有罪にしちゃうってありかよっ、だった。

 あれは結局、あの事件に関わった者たちの別の裁判を「江口が入れ知恵した」説で有罪とし、確定しちゃったもんだから、後戻りできなくなった、そうとしか考えられない。

 

 最高裁はこう言明したらどうかと私は思う。

「司法の威信、ひいては国家の秩序を守るため、無辜(むこ。罪のない人)を処罰することもあります。死刑にすることもあります。それは仕方がないのです。無実の罪で刑罰(死刑を含む)に処された方々は、国家のため尊い犠牲、人柱(ひとばしら)になったのだと、胸を張ってあきらめてください」

 じつは最高裁の裏庭に「人柱神社」があったりして。

 

 でもね、私はべつに粗探しをしてるわけじゃない。
 粗探しで20年以上も裁判所へ通えないでしょ普通。

「うわお、裁判官、すごいことやってのけたね。良いものを見せてもらった。ありがとう!」

 ということもある。都度、雑誌やメルマガでレポートを書かせてもらった。

・定年間近で高裁の部総括判事、つまり“上がりポスト”の人
・高裁の部総括を65歳で定年退官し、定年70歳の簡裁判事になった人

 特にこういう人たちの裁判は、味がある、場合がある。

 さて、以上のようなことを思いつつ傍聴してるマニアは、まさか私だけじゃないですよね~💦

 ←1月21日18時30分現在、週間INが30で3位。

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