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2024年6月25日 (火)

最小限の証拠で有罪にするのが美しい司法だ?

 検察官と裁判官しか興味を示さないだろうことを、ちらっとつぶやこう。

 東京地検は、オービス事件の甲号証から、指定速度(いわゆる制限速度)についての公安委員会の決定(抜粋)を、どうも、排除する方向へ舵を切り始めたらしい。

 

 去年のいつ頃だっけ、もしや一昨年だっけ、若い女性検察官が、その決定を証拠請求せず、裁判官が首をひねったことがあった。

 女性検察官は、いわゆる制限速度を示す規制標識等の写真撮影報告書を証拠請求してるんで、それで足りる、という考えを述べた。
 裁判官は「検察官はそうお考えなんですか」と述べ、結局、決定を証拠としないまま、普通に有罪とした、と私は記憶する。

 メルマガに書いた。雑誌にも書いたかも。

 

 その後、決定を証拠請求する検察官もいたが、しない検察官もいて、どうもね、しないことで統一することにしたらしい、といえる状況にある。

 

 長年にわたり裁判傍聴マニアをやってる方は皆さんご存知だろう、検察庁も裁判所も、できるだけ証拠(書証)を減らしたがっている。
 そんなシーンをよく見かける。
 最小の書証で有罪をつくるのが、美しき司法である、みたいな。

 

 だけどねえ、と私は思う。

 標識があり、標識にしたがって違反を取り締まったけど、じつは公安委員会の決定がなかった、標識は無効、規制は無効、違反は成立しないとわかった、という報道が、全国で年に数件か、あるでしょ。

 

 公安委員会の決定を、甲号証から省く、省いて美しい司法をつくる、ヤバイよねえ、と私は思う。

 こんなことを思ってるのは日本で私だけ? いやいやしょんなことはないと思いますよ💦

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