過失の事故ではなく、未必の故意による運転殺人罪
11月13日、14日、各社一斉に報じた、たとえば毎日新聞は「高速度、飲酒運転に「数値基準」 危険運転致死傷の適用巡り 検討会」と。
危険運転の刑事裁判も私はだいぶ傍聴してきた。
危険運転じゃない交通事故の裁判は、数えてないけど、どうだろ1000件ぐらいか傍聴してきた。
危険運転について、ちらっとコメントしておきたい。
事故は起こしたくないと思いつつ、ついうっかり注意を怠り、過失でやってしまう、それが交通事故だ。
一方、それをやったら事故るかもでしょ、ということをあえてやり、実際に事故る、それは「事故」といえない。
裁判官 「被害者を狙っての確定的な故意までは認められないが、不特定の他人が死傷する可能性を認識、容認していたと認めるのが相当である。少なくとも未必的な故意が認められ、故意に欠けるところはない」
自動車運転傷害、自動車運転殺人、そういう考え方も検討されて良いんではないかと私は思う。
しかし、国の動きを見ていると、要するに、なるべく過失の事故で処理したい、危険運転致死傷罪をなるべく適用したくない、という消極のベクトルが感じられる。
交通三悪(こうつうさんあく)のうち速度違反のペナルティだけが馬鹿みたいに軽いこととあわせ、じつは自動車は、運転者、その家族、罪もない他人の人生を一瞬でぶち壊しかねない、禍々(まがまが)しき凶器としての側面も大きくあるのだ、ということを、できる限り秘めておきたい? とすれば、なぜ?
もうひとつ。飲酒の危険運転を、呼気中のアルコール量で規定する、という案について。
単行本や雑誌記事にさんざん書いてきたが、あの呼気検査、じつは当てにならない場合がある。
『ラジオライフ』の検証記事の、被験者を私がやらせてもらったところによれば、検査直前のうがいと深呼吸、そのやり方によって検査値は明らかに異なった。
実際の検査は、そんなこと露知らぬ運転者に対し、1回だけ行なう。
3回やって平均値をとる、最低値をとる、ということをしない。1回勝負だ。
なぜ1回勝負なのか、警察官の証言を私は法廷で聞いたことがある。衝撃の証言に私は飛び上がり、法廷の天井に頭が突き刺さり、体がぶら下がってぶらんぶらん揺れたものだ(笑)。
以上、ちらっとコメントした。紙の山を崩す作業は、楽しく進行中だ。
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