石の上にも三年、桃栗三年柿八年、交通違反で43年
交通違反・取締りを取材・研究し続けて43年ぐらいになる。
当初、私はこう考え、憤っていた。
道路交通法の目的は交通の安全と円滑、事故防止を図ることだ。ところが現実の取締りは、取締りのための取締りに堕している。けしからーん!
突っ込んで調べるうち、こんな仮説を思いついた。
善良な運転者の日常的な運転もしばしば違反になるよう、ばさっと大きく違反の網をかけておき、運悪くひっかかった一部の運転者からカネを吸い上げる。一部でも母数(運転免許保有者数と違反暴露度)が膨大ゆえ、莫大なカネが集まる。それを警察の縄張りへ流し込み、かつ、交通安全、事故防止のために警察は頑張ってますという外形をつくる、それが交通取締りの本質だ。
当該仮説に疑問を抱かせるものはなく、仮説は普通の認識として落ち着いていった。
わざわざ声高に言うまでもない、当たり前の認識…。日本では太陽はおおむね東からのぼり、西へ沈む。雨の降る日は天気が悪い、ま、そんな感じか。
そもそも交通取締りは、こういう論法の上にあるのだね。
交通安全のため道交法はある。道交法に違反する行為は危険なのだ。個々の違反の危険性は関係ない。よって危険性のない違反をびしびし取り締まれば交通安全のためになる。
抽象的危険犯というやつだ。
そうして、いつ頃からだったか、私は自分を、交通違反・取締りのマニア、略して「交通違反マニア」と称し始めた。
交通違反・取締りが大好きでしょーがない、もっとあれこれ知りたくてたまらい、アホなマニアである、若干自嘲気味に言えば(笑)。
調べて新しいことを発見したら大喜びだ。雑誌やWebに記事を書けば原稿料をもらえる、ありがたい。
そんなところから社会を見ると、という話は長くなる、また今度。
石の上にも三年。桃栗三年、柿八年、交通違反で43年。見えてくるものがある、あなたは何が見えてきましたか? つーことでひとつ。
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