群衆に幻想を与える術を心得ている者は、容易に群衆の支配者となり
百回は大げさとしても、3回程度は熟読して政界に打ち出でた者は、必ずや、1回読んだとさえ絶対に言わないだろう、という闇の書物、禁断の書物がある。
日本語版は『群集心理』(ギュスターヴ・ル・ボン著、櫻井成夫訳、講談社学術文庫)である。
「群衆」の部分は、大衆、民衆、国民たち、有権者たち、と読み替えてOKだと思う。
愚民ども、と読み替えるのは違うと思う。愚民と賢民に分けて済むような話ではない。
少し引用しよう、としたが見つからない。どこに埋もれてしまったのか。
探すうち、『100分de名著 ル・ボン 群集心理』(武田砂鉄著、NHK出版)が見つかった。
そこから、ほんの一部を引用する。
📖 これまで群衆が、真実を渇望したことはなかった。群衆は、自分らの気にいらぬ明白な事実の前では、身をかわして、むしろ誤謬でも魅力があるならば、それを神のように崇めようとする。
📖 およそ推理や論証をまぬかれた無条件な断言こそ、群衆の精神にある思想を沁みこませる確実な手段となる。断言は、証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ。
📖 断言は、たえず、しかもできるだけ同じ言葉でくりかえされなければ、実際の影響力を持てないのである。真実の修辞形式はただ一つ、反復ということがあるのみ、とナポレオンがいった。断言された事柄は、反復によって、人々の頭のなかに固定して、遂にはあたかも論証ずみの真理のように、承認されるに至るのである。
📖 意見や信念が伝搬するのは、感染の作用によるのであって、推理の作用によることはあまりない。現在、労働者たちのいだく考えは、酒場で、断言、反復、感染の結果、形づくられるのである。どの時代の群衆の信念も、これとは別の方法でつくられたことは、ほとんどなかった。
労働者 → ネット民
酒場 → SNS
断言、反復、感染 → 加えて、批判者に対する中傷攻撃
て感じですかね、現代においては。
📖 群衆に幻想を与える術を心得ている者は、容易に群衆の支配者となり、群衆の幻想を打破しようと試みる者は、常に群衆のいけにえとなる。
いけにえ、兵庫県でそんなことが起こらなかったっけ…。
「群衆に幻想を与える術を心得ている者」とは、アメリカにおいてはドナルド・トランプ氏、日本においてはN党の立花孝志氏、参政党の神谷宗幣氏か。
ル・ボン氏の全著作をAIに読み込ませ、アメリカと日本の、そして世界の行方を、仮想ル・ボン氏に語らせる、ことも可能だったりして?
いや、でも、私はAIを信用してない。
可搬式について質問したとき、あまりにもアホなことを、しかしじつに真っ当らしく言ってのけるのに驚愕したから。
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