何を隠そう私は高校生の頃からパチンコをやっていた
ときどき過去をふり返っておこう、かなと思う。
当時の玉貸しは5個10円からだった。パチンコの話である。
傾斜がついた円盤状の玉貸し機に、縦に溝があり、玉が5個ずつ装填されている。
客が10円玉を1枚渡し、店員がハンドルを1目盛り動かすと、玉が5個、じゃらっと出る。
客が100円白銅貨または100円札を渡し、店員がハンドルを10目盛り動かすと、玉が50個、じゃららーっと出る。
客はその玉を、両手をお椀状にして受け取る。
高校3年の頃には、無人の自販機タイプが主流になった、ように記憶する。
高校3年の頃、朝10時の開店時に、全台チューリップが1つずつ開いている、というサービスがあった。
チューリップに玉が1個入れば閉じ、15個、じゃらーんと出る。
開店前に行列をつくり、軍艦マーチととにも雪崩れ込む。忙しくチューリップを閉じて回る。
効率よくチューリップが閉じれば、軽く100個を超える玉を得られる。お得である。
雪崩れ込んだ客が貸し玉機に殺到し、殺傷事件になっては困る。
なので開店前、玉50個を入れた小さなプラ箱を、店員が行列の客に100円で売って回ったもんだ。
その行列や、新装開店の行列に、高校の授業をサボってよく並んだ。
制服のワイシャツと黒ズボンで。冬は、詰め襟の学生服の襟を内側に折り込み、学校指定の黒いコートを着た。足元は、私の場合は春夏秋冬、朴歯(ほおば)の高下駄だった。
誰からも何も言われなかった。
若いカップルが補導員に捕まるのを、くわえ煙草(当時はチェリー)で玉を打ちながら「あーあ」と見やったりしたもんだ。
大学1年生になりパチンコ屋でアルバイトをした。
店主も従業員も、なんかヤクザっぽい人たちだった。
「よう、カネ貸してくれよ」とニヤニヤ、地回りのヤクザから言われたりもした。
しかし! 30歳代前半のいつ頃だったか、きっぱりヤメた。
警察がヤクザからパチンコ利権を乗っ取る、引き換えに射幸心をやたら煽る台を許可した、と私は解釈している。
ここから、パチンコは庶民の遊戯からギャンブルに、ぐんぐんなり始めた。
当時、私は月にだいたい9万円平均だったか、パチンコで稼いでいた。こまめに手帳にメモっていたのだ(笑)。
けど、ギャンブルの台(遊戯台)が増え、地味に稼げる台が減り、かつ「パチンコの時間は人生の浪費だ」みたいなことを思うに至り、きっぱりヤメたのだ。
ギャンブルの最大、最強のコツは、勝っているときに逃げること。私はうまく逃げられたと思う。
逃げてつくづく思う。あんなのやってるのは馬鹿だ、と。もちろん、やっていたときの自分も含めて。
だってさ、繁華街や交通量の多いロードサイドの、大きな“箱”の家賃、地代、従業員らの給料、新台の入れ替え費用、私なんかの稼ぎ分、社長のベンツ、愛人のお手当、パチ系議員への献金、パー券購入、ぜんぶ誰が払うの?
ぜーんぶ、客が払うんだよ!
2020年10月の末頃、私は完全禁煙した。それから言い続けている、煙草飲みは馬鹿だと。
どっぷり浸かっていたところから、逃げて初めてわかる、自分は馬鹿だったと。そんなもんだよね~💦
こゆのを熊対策に携帯してる人もいるんだろうか。
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