賽の河原の不断の努力
日経新聞夕刊一面(いちめん)下のコラム、11月26日は作家・多和田葉子さんの「人の心と鉄道駅」だった。紙の新聞で読んだ。
この方、ドイツ在住の作家さんで『ゴットハルト鉄道』などの著作があるという。
「刃物で切りつけられ、複数の人々が負傷 ドイツ北部ハンブルク中央駅」と今年5月25日付け朝日新聞。この事件について、多和田葉子さんは上記コラムの中でこう書いてる。
…無差別襲撃の犯人は心を病んだドイツ人で、犠牲者がそれ以上増えずにすんだのは、シリア人とチェチェン人の難民のおかげだった。2人は駅の中でパニックが起こったことに気づき、人々が先を争って逃げていく中、逆に犯人に駆け寄り、とびかかって地に押し伏せ、すでに十数人の通行人を刺していたナイフの動きをとめた。
えっ、そんなことがあったの? ネットを調べたら「シリア人とチェチェン人がハンブルク中央駅で精神的に病んだナイフを持った犯人を止めた」という詳細な記事がヒットした。
「その女性」はすでに18人を「ナイフ攻撃で負傷」させており「そのうち7人が重傷、4人が生命に関わる危険な状態だった」という。
日本と違ってドイツは「難民」の問題が大きいと聞く。ドイツの匿名掲示板やSNSは当然に、こんな投稿で盛り上がってるんだろうか。
「そのシリア人とチェチェン人らが無差別襲撃の犯人だ! 罪もないドイツ女性を犯人に仕立てやがった! なのにオールドメディアは嘘ばっかり! 真実はYouTube(※デマ扇動家のAI動画)にある!」
ぼんやり思うんだけど…。
A、 どんだけ厳罰化されても、最悪事故(事実上無差別殺傷事件)がどんだけ報道されても、飲酒運転をする者はいる。続々と刑事裁判の法廷へ出てくる、被告人として。
B、 警察、自治体、メディアがどんなに注意喚起をしても、特殊詐欺にころっと引っかかってしまう人はいる。続々といて「被害総額は11月時点で昨年を超えた」とか毎年のように報じられる。
C、 ファクトを提示されてもそんなものは見ず、デマに扇動され犬笛に踊る者が、古今東西一定数どうしようもなく湧いてくる。
どうすりゃいいのか。
Aについては、体内に基準以上のアルコールを保有しては運転できない、そういう装置を全車に義務付けるか。無理なら、夜間や明け方などは特に飲酒運転で居眠りして突っ込んでくる車があることを予想しつつ…。よく言われる「かもしれない運転」である、かもしれない歩行、それも大事と思う。
Bについては、詐欺グループは熟練のプロフェッショナルたちだ。加えて、どんなに注意喚起されても他人事、という問題が大きくあるように思われる。特殊詐欺の裁判を次々傍聴して「ああ、こんな連中が!」と震撼してもらうことが、手っ取り早く有効かと。
また、他人事を自分事にすべく、詐欺メール、詐欺バナー等を見破ったら10ポイント、詐欺電話の番号や振込先口座を通報したら50ポイント、受け子や出し子らしき不審者を見つけて通報したら200ポイント、今まさに騙され振込等をしそうなっている者を救助したら千ポイント、騙されたふり作戦で逮捕に至ったら1万ポイントなどを付与し、累計ポイントにより豪華景品等を…。
高齢者の日々に張りが出て、認知症の予防にも有用かと。
Cについては、たとえば人口の1割とか一定割合の者がそこへ堕ちるのは、人類の特性というのか、どうしようもない。「あなたそれ間違ってますよ。ここがこう事実に反します」などといくら説明しても、まったく効かない聞かない。
連中が振りまくデマを、ちらっと信じそうな人たち(人口の2割か5割か)に対し「デマですよ、事実はこうですよ」と、飽きずたゆまずお知らせしていく、それしかないんじゃないかと。
賽の河原(さいのかわら)、いまどき死語だろうか。
平和とか人権とかいうのは、河原で小さな石を積み上げるようなもの。完成する前に鬼が出てきて崩すんだけど、くじけずまた石を積む、そうたとえることができるのでは。
以下は日本国憲法第12条前段。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
不断の努力、終わりはないのである。「国民の義務はなんですか?」と国が言うとき、けして出てこない義務、これを日本国憲法に明記させた方々を私は尊敬する。

