傍聴席の異邦人
2009年7月に、下書きに入れたまま忘れていたこれ…。少し加筆する。
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土日連続、有酸素散歩約1時間。
各散歩の終わりに公園のベンチで休憩し、『異邦人』(アルベール・カミュ著。窪田啓作訳。新潮文庫)を、解説を含め読み終えた。ムルソーはマルチェロ・マストロヤンニ氏が演じた、マリイは誰だっけ、アンナ・カリーナ氏だっけ、などと映画『異邦人』の微かな記憶を辿りつつ。
作中にこんな部分がある。
弁護士は一方の袖をからげながら、断固たる調子で、「これがこの裁判の実相なのだ。すべて事実だが、また何一つとして事実でないのだ!」といった。検事は無表情な顔をして、記録の見出しを鉛筆でつついていた。
すべて事実だが、また何一つとして事実でない…。そんなものを、私も東京地裁の裁判傍聴で感じることがある。
いわばこの事件を私抜きで、扱っているような風だった。私の参加なしにすべてが運んで行った。私の意見を徴することなしに、私の運命が決められていた。
被告人はそう感じてるんじゃないかなぁ、と傍聴席で感じることがある。
検察官は、有罪&相場の刑罰に必要な、最低限の証拠のみを法廷へ出す。
弁護人は、とにかく何でもかんでも被告人に有利に解釈する。
裁判官は、紙の上で、有罪&相場の刑罰を整える、まさに、整える。
そこに真実はなく、被告人もいない…。傍聴席でそう感じることがある。
『異邦人』がガリマール社から刊行されたのは、1942年6月、カミュが28歳のときだという。私が古書店で買った文庫本は、1954年発行、1998年5月、なんと101刷り!
白石浩司さんの解説にこうある。
『異邦人』は、フランスの旧植民地アルジェリア生まれの、中央文壇とはなんの関係もなかったひとりの文学青年を、一躍文壇の寵児にしたすぐれた小説である。
(中略)
ムルソーはロカンタンと同様、作者が非常な愛着をもって造形した人物であるが、そればかりでなく、1930年代の青年たちの歓びや苦しみを一身に具現している典型的人物なのだ。
これはすごい作品なんだね。
現代の日本の青年たちの歓びや苦しみを一身に具現する、典型的な人物とは、なーんて妄想を広げる私は、傍聴席の異邦人(L'étranger)。おっ、珍しく上手に決まったね(笑)。 ※こんな映画があるとは知らなかった。

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